第20回 みなさんとお坊さんのおしゃべり会
「悪人正機」について法話をしました
先日、皆さまと一緒に『歎異抄』第三条の「悪人正機」について学ぶ時間を持ちました。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
『歎異抄』の中でもよく知られているこの言葉は、一見すると、「善人よりも悪人のほうが救われる」という意味に聞こえるかもしれません。
しかし、親鸞聖人がここでおっしゃる「悪人」とは、単に悪いことをした人を指しているのではありません。
私たちは誰もが、煩悩を抱えて生きています。
「こうありたい」と思っていても、思い通りにならないと腹を立てたり、人と比べたり、自分の都合を優先したりする。頭では分かっていても、その通りに生きることのできない自分がいます。
そのような自分自身の姿に気づかされることが、「悪人正機」をいただく上で大切なのではないかと思います。
悪人正機とは、「悪いことをしてもよい」という教えではありません。
むしろ、自分の力ではどうすることもできない私たちだからこそ、その私を目当てとして阿弥陀仏の本願がはたらいてくださっている、という教えです。
二種深信から考える
この「悪人正機」をより深く味わうために、今回は「二種深信(にしゅじんしん)」についてもお話ししました。
二種深信とは、「機の深信」と「法の深信」です。
「機の深信」とは、自分自身の姿を深く知らされること。
自分はそれほど悪い人間ではないと思っていても、日々の生活を振り返れば、さまざまな煩悩に振り回されている自分に気づかされます。
そして「法の深信」とは、そのような私を必ず救うという阿弥陀仏の本願を深くいただくことです。
自分自身の姿を知らされることと、その私に向けられている阿弥陀仏の本願をいただくこと。この二つが「二種深信」として一つにつながっています。
「自分は大丈夫だ」と思っているときには、仏さまの願いはなかなか自分のこととして受け止められません。
しかし、自分の力ではどうすることもできない自分の姿を知らされたとき、「こんな私をこそ救おうとしてくださっている」という阿弥陀仏の本願が、初めて身近なものとして感じられるのではないでしょうか。
お盆の話、そして還相回向
今回の法話では、「悪人正機」という教えをできるだけ身近に感じていただけるよう、お盆についてもお話ししました。
お盆には、亡き方やご先祖を偲びます。
亡き方を思い出し、その方とのつながりを振り返るとき、私たちは決して一人で生きてきたのではないことに気づかされます。
さまざまな人とのご縁に支えられ、今の自分がある。
そのことに気づかされることもまた、自分自身の姿を見つめることにつながるのだと思います。
また、浄土真宗の大切な教えの一つである「還相回向(げんそうえこう)」についてもお話ししました。
浄土に生まれた者が、迷いの世界に還り、他の人々を仏道へ導くはたらきをするという教えです。
私たちが亡き方を偲ぶとき、その方とのご縁を通して、今を生きる私たち自身が仏さまの教えを聞かせていただく。
そう考えると、亡き方とのご縁は決して過去のものではなく、今の私たちのところにまで届いている大切なご縁なのだと感じます。
ともに問い、ともに聞く
法話の後には、皆さまからさまざまな疑問や思いを出していただき、質疑応答の時間を持ちました。
仏教の言葉は、聞いただけではなかなか分かりにくいものもあります。
だからこそ、疑問に思ったことを尋ね、考え、語り合うことが大切です。
私自身も、皆さまと一緒に問いながら仏さまの教えを聞かせていただくことができました。
「悪人正機」という言葉を通して見つめられているのは、特別な誰かではなく、煩悩を抱え、迷いながら生きている私自身の姿です。
そして、その私を目当てとして阿弥陀仏の本願がはたらいてくださっている。
今回の法話が、皆さまにとって仏さまの教えを少し身近に感じ、自分自身のこととして聞いていただくご縁となっていれば幸いです。
これからも、ともに語り、ともに問い、ともに仏さまの教えを聞く時間を大切にしていきたいと思います。


