令和7年7月の言葉

「亡き人のため」という思いは
「私がいかに生きるか」という問いに転換される
私たちは大切な方を亡くしたとき、深い悲しみの中で、「何かできなかっただろうか」「もっとこうしてあげたかった」と後悔や願いを抱くことがあります。しかし、浄土真宗では、亡き方は阿弥陀さまのおはたらきによって、すでに安らかな世界へと導かれているといただきます。救いは、生きている私たちの思いや行いによるものではなく、阿弥陀さまのはたらきにすべてお任せされているのです。 では、私たちにできることは何でしょうか。それは、「亡き人のため」という願いを、「自分がどう生きるのか」という問いに転じることです。亡き人がいのちを懸けて教えてくださったこと、その生き様や言葉、そして最後までいのちを生き切ってくださった事実。それらが、今の私に深く響き、自分のいのちをどう受け止め、どう歩んでいくかを問いかけてくるのです。 仏さまの願いに抱かれ、亡き人はすでに穏やかな光の中におられる。その事実に安心しながら、私はこのいのちをどう生き抜くか。苦しみや迷いの中にあっても、その問いに立ち続けるとき、亡き人の存在は私の人生を照らす灯火となってくださることでしょう。