住職の法話 第2回 他力本願

勘違い他力本願

他力と言うと他人のふんどしと勘違いしがちですが、浄土真宗で他力と言うと阿弥陀さまの力を顕します。自分の力すなわち自力に対して他力、すなわち阿弥陀さまの力の意です。言い換えるならば他力=本願力なのです。そして、本願は阿弥陀さまの専売特許です。

本願とは何だと思いますか?

ググってみると、「すべての仏陀たちが、仏陀に成ろうとして修行する時、衆生を救済するために誓った誓願を『本願』という。」とあります。つまり仏教の目的は成仏であり成仏することが私たち衆生の救済なのです。

本題に戻ります、「他」という文字はインドの経典が中国で漢訳された為に誤解が生じています。日本人にわかりやすい感覚ですと「他」は「彼」に置き換えれば分かりやすくなります。中国語の他の意訳は日本語では「彼」が適当なのです。つまり彼は彼方と言う意、彼岸です。此岸に対して彼岸。彼方からの力=阿弥陀さまの力です。

私達はどんなに努力しても、兼ね備えた煩悩を捨て去る事はできません、ですから阿弥陀さまの力に頼る以外はないのです。自力で成仏出来ると言う自信がある方はいらっしゃいますか?

でも安心してください、既に阿弥陀さまは私達の成仏をお約束して下さっています。

親鸞聖人は「いずれの行もおよび難き身なればとても地獄は一定すみかぞかし」とおっしゃいました。自分は善など一つも行えないのだから地獄行きは当然だとおっしゃり、その後に「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。」とお述べになり、阿弥陀さまの本願は本物であるから、この本願は私のためにご用意されていたものだとおっしゃいます。これは、全ての人々にもちゃんと本願は働きかけて下さっていると言う意味です。

このほんとうの他力本願のお心をお受け止めください。 合掌