住職の法話 第34回 「お盆」とは、亡き人が帰ってくる日でしょうか?

七月、八月になると、お盆を迎えます。お墓参りをし、お仏壇にお供えをし、お盆提灯を飾り、迎え火や送り火を焚く。そして、きゅうりやナスで馬や牛を作り、「ご先祖さまが家に帰って来られる」と受け止めておられる方も多いことでしょう。

こうした風習は、日本人が古くから亡き人を大切に思い、感謝の心を表してきた美しい文化でもあります。ですから、それを否定する必要はありません。しかし、浄土真宗では、お盆を少し違った意味で受け止めています。

浄土真宗では、亡くなられた方は阿弥陀如来のお救いによって、命終わると同時にお浄土に往生し、仏とならせていただくと教えられています。

親鸞聖人は『教行信証』の中で、「平生業成(へいぜいごうじょう)」というお示しを大切にされました。つまり、阿弥陀さまのお救いは、亡くなってから決まるものではなく、生きている今、本願を信じる身に定まるということです。そして命を終えた時には、迷いの世界を離れ、直ちにお浄土に往生し、仏とならせていただくのです。

そうであるならば、お盆だから帰って来られる、お彼岸だからまたお浄土へ帰られるということにはなりません。

ですから浄土真宗では、「亡き人が帰って来られるため」に迎え火を焚く必要も、「またお浄土へお送りするため」に送り火を焚く必要もありません。

また、お盆提灯も、本来は亡き人が迷わず帰って来られるように道しるべとして灯すものとされています。しかし、お浄土には迷いも暗闇もありません。阿弥陀さまの光明に照らされた世界ですから、道に迷うこともありません。そのため、浄土真宗では、お盆提灯を「亡き人を迎えるための灯り」とは考えません。

さらに、きゅうりの馬は「早く帰って来てもらうため」、ナスの牛は「ゆっくりお浄土へ帰っていただくため」と言われています。しかし、仏となった方が乗り物に乗ってこの世を往復するという教えも、浄土真宗にはありません。

このように、迎え火・送り火、お盆提灯、精霊馬(しょうりょううま)は、日本の民間信仰や祖霊信仰から生まれた大切な風習ではありますが、浄土真宗の教えとは異なるものなのです。

では、浄土真宗にはお盆はないのでしょうか。

決してそうではありません。

むしろ、お盆は私たちにとって大変ありがたい仏縁です。

亡き人は、お盆になって初めて私たちのことを思い出す存在ではありません。仏となった亡き方は、常に阿弥陀さまのお慈悲の中で、私たちを仏法へと導く「善知識(ぜんぢしき)」となってくださっています。

だからこそ、お盆は「亡き人を迎える日」ではなく、「亡き人をご縁として、私が仏さまの教えを聞く日」なのです。

私たちは日々の暮らしに追われ、「自分も必ず老い、病み、そして死を迎える存在である」という最も大切な事実を忘れて生きています。

しかし、お盆になるとお墓参りをし、お仏壇の前に座り、亡き人を偲びます。その時、「あの人も亡くなった。いつか私も必ずこの命を終える」という現実に出遇います。

仏教では、これを「無常」と教えます。

すべてのものは移り変わり、この命も永遠ではありません。

だからこそ、「限りある命を、私は何をよりどころに生きるのか」が問われるのです。

親鸞聖人は、人間はどこまでも自分中心にしか生きられない凡夫であることを深く見つめられました。そのような私を決して見捨てることなく、「必ず救う」とはたらいてくださるのが阿弥陀如来の本願です。

お盆は、ご先祖さまのためだけの日ではありません。

ご先祖が、「あなたも仏法を聞きなさい」「人生で本当に大切なことに耳を傾けなさい」と、私たちに呼びかけてくださる日なのです。

考えてみれば、亡き人がいなければ、今の私は存在しません。

父母がいて、祖父母がいて、そのまたご先祖が命をつないでくださったからこそ、今ここに私があります。

そして、その命のつながりの中で、仏法を聞くご縁までいただきました。

浄土真宗では、このことを「亡き人が仏となって私を導いてくださる」といただきます。悲しみで終わる死ではなく、仏縁となって今を生きる私を照らしてくださる存在として受け止めるのです。

ですから、お盆に最も大切なことは、迎え火でも送り火でもありません。豪華なお供えでもありません。

亡き人をご縁として、お寺へお参りし、お仏壇の前で静かに手を合わせ、阿弥陀さまのお話を聞かせていただくことです。

亡き人は、もう迷い苦しむ存在ではありません。

阿弥陀さまのお浄土で仏となり、「人生で本当に大切なものは何か」「限りある命をどう生きるのか」を、今も私たちに問いかけ続けてくださっています。

お盆とは、亡き人が帰ってくる日ではなく、亡き人を通して仏さまの願いに出遇う日です。

今年のお盆も、ご先祖への感謝とともに、自らの命を見つめ直し、仏法に耳を傾ける尊いご縁として過ごさせていただきたいものです。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ 合掌