住職の法話 第1回 信心について
信心について
さて、あらゆる宗教には信心がつきものですね。信心無くして宗教は成り立ちませんね。
皆さんの信心てどんなもんですかね。神仏を信じる事。これは一般的ですね。
では浄土真宗の信心とはどんなものなのかについてお話します。
まず初めに知って頂きたいのは、
親鸞聖人のお作りになった和讃(わさん)があるという事です。和讃とは四行一句の今様と呼ばれていた当時の流行歌の形式に親鸞聖人が真宗の御心を込めてお作りになったものです。当時は読み書き出来ない人も多く、親鸞聖人の教行信証を読み解ける人は相当学問のある人だけでした。そこで、親鸞聖人は当時の流行歌風に和讃と言う形でみ教えをお伝えくださったのです。和讃は三帖和讃と呼ばれ「浄土和讃」「高僧和讃」「正像末和讃」という3種類の構成になってます。それぞれ約120首近い和讃で合計353首あります。
そして、その中に「信心」をタイトルにした和讃があります。とても端的に真宗の信心の要点をお示しくださっています。
信心すなわち一心なり
一心すなわち金剛心
金剛心は菩提心
この信すなわち他力なり
高僧和讃より
解説しますと、
信心とは一つの心ですよ、これは皆さん個々人がバラバラに何かを信じると言う信心ではなく真宗における信心と言えば1種類しかないんだよという意味です。
そしてその信心はとても堅固なもので突き崩されるものではない。
その堅固な信心はお浄土に生まれたいと思う心ですよ。
このような信心の事を他力と言います。
さて、
皆さんが例えば神仏を敬い信心しているとしましょう、朝晩のお念仏を私は欠かしたことがありませんという人でもインフルエンザや流行の病になって高熱をだしていつもと同じ信心が保てるでしょうか?
ですから私たちは自分の力すなわち自力で信心しても限界があるんです。従って私たちは自力ではなく阿弥陀さまの力すなわち他力におすがりして信心を頂くという立場を選択せざるを得ないのです。阿弥陀さまから賜る信心であれば自分の体調の良し悪しによって信心が揺らぐという事はないのです。それが金剛心です。
そして一番大切な事はお浄土をねがう心、つまり地獄などに行かずにちゃんと往生できること、そしてそれが叶うこと(菩提心)です。
つまり、「我が名を呼べ、必ず救う」と仰せになった阿弥陀さまを受け入れて従う心を信心と言います。
全ての人々が同じ一つの信心を頂くのですから人によって信心の深い浅いということも無く、決して突き崩されることも無い信心が、浄土真宗の信心なのです。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ 合掌