住職の法話 第23回 唯心鈔文意

唯心鈔文意

親鸞聖人が、同じ法然上人門下の先輩にあたる聖覚法印の著された『唯信鈔』について、その題号および引証された経釈の要文に註釈を施されたものです。

序文
 「唯信鈔」といふは、「唯」はただこのことひとつといふ、ふたつならぶことをきらふことばなり。また「唯」はひとりといふこころなり。「信」はうたがひなきこころなり、すなはちこれ真実の信心なり、虚仮はなれたるこころなり。虚はむなしといふ、仮はかりなるといふことなり、虚は実ならぬをいふ、仮は真ならぬをいふなり。本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを「唯信」といふ。「鈔」はすぐれたることをぬきいだしあつむることばなり。このゆゑに「唯信鈔」といふなり。また「唯信」はこれこの他力の信心のほかに余のことならはずとなり、すなはち本弘誓願なるがゆゑなればなり。

解説
唯信鈔という題名には、次のような意味があります。唯とはただこのこと一つという意味です。二つはあり得ないという意味のことばです。(唯一無二の唯)また唯には独りという意味合いがあります。(独立独歩して他を必要としない)
 信はもう疑いようがない、猶予は要らないという心です。これがそのまま真実の信心です。虚仮(そらごと・たわごと)を離れたこころです。虚は不実をいい、仮は不真をいうのです。 本願他力をわがためと受けとめて自分中心のものさしを捨て離れたこと、これを唯信というのです。鈔はすぐれた内容の文章を抜き出し集めた書物という意味の言葉です。以上のような意味をこめて唯信鈔と名づけてあるのです。 また唯信ということは、この他力の信心の他に余のこと(自力の菩提心・修行)など一切行わないのだという明確な決意をあらわしています。それこそが、弥陀如来の本(久遠の昔以来の)弘(悪逆までももらさぬ)誓(果たし遂げるまではやむことのない)願(この私達をわがいのちと引き受けていて下さる御心)を受け取ったもののすがたであるからです。

親鸞聖人が『唯信鈔』を尊重され、また、門弟にしばしばこれを熟読することを勧められていることは、消息(お手紙)の内容や数回にわたる写伝の事実などから知られるところです。唯心鈔文意は唯心鈔を解釈しながら、浄土真宗の法義を明らかにされたと諒解してください。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだ 合掌