住職の法話 第15回 お経と七高僧
皆さんは坊主が拝んでるのは全てお経だと思ってますよね。それ、違います。実は「経」はお釈迦さまが説いたものに限定されるんです。
浄土真宗でリスペクトしているお経は三つだけです。無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経です。これを浄土三部経といいますね。
ちなみに浄土真宗でよくおつとめされる正信偈、正確には正信念佛偈といいますけどこれはお経ではありません。親鸞聖人の教行信証、正確には顕浄土真実教行証文類といいますけど、この行の巻の最後に収められたのが正信偈でして親鸞聖人作ですからお経じゃないんです。これは偈文(げもん)と言います。偈と言うのは詩、うたですね。散文という事。
話変わりますが経・論・釈という考え方があります。これはお釈迦さまは紀元前の人ですよね、約2600年前の人です。お釈迦さまが説かれたものは親鸞聖人の時代でもメチャ古典ですよね。だから簡単に読み解けませんよね。
だから、まず経典を理解するにはお釈迦さまの次に教えを解説してくれる先生がいないとダメなんです。
それで、お釈迦さまの教えをまずわかりやすくしてくださったのが、インドの龍樹菩薩(ナーガールジュナ西暦150年くらい)ですね。この方は大乗仏教の祖師とされてますね。浄土真宗ではお釈迦さまの教えから難行易行の教えを顕らかにしてくださった第一の高僧と位置づけられてます。
ちなみに難行とは冷たい滝に打たれたり寝ないで真言を唱えたり、とにかく苦しい行、苦行ともいいますね、それに比べて易行とは、南無阿弥陀仏と称えるだけ。
だから浄土真宗は易行と言われてますね。
そして次に天親菩薩(世親)が西暦300年くらいに現れて浄土論をお書きになる。ほら、出てきた「論」。
浄土思想の元になるお考えをお示しくださったのがこの方。天親さんもインドの高僧。ちなみにこの浄土論は願生偈という偈文で私もよくおつとめしています。
そして中国に移り曇鸞大師がお出ましになりますね。西暦500年くらいの人ですね。この方が浄土論註をお書きになりますね。天親さんの浄土論の解説書ですね。つまり浄土論をわかりやすく解釈してくれたので、これが「釈」ですね。
そして、次に道綽禅師(600年くらい)がお出ましになりますね。この方は曇鸞さんに影響を受けて初めて中国浄土教を確立されましたね。
そして善導大師が西暦650年くらいにお出ましになる。この方は称名念仏、つまり南無阿弥陀仏と称える念佛を弘めた方ですからね、日本の浄土宗、浄土真宗の考え方の基礎をお説きくださった人ですね。
この方をめちゃリスペクトしてる方はご存知、法然上人ですね。
そしていよいよ日本に移ります。942年に源信僧都がお出ましになりますね。平安中期のお坊さんですね。比叡山延暦寺の有名人ですね。往生要集お書きになりましたね。地獄の達人ですね。法然上人や親鸞聖人がめちゃ影響受けましたね。
そして最後に、お待たせしました法然上人です。言うまでもなく親鸞聖人のお師匠さまですね。選択本願念佛集をお作りになって親鸞聖人に写していいよと言ってくださいましたね。印刷技術がない時代に師匠の著述の写書を許されると言うのはめちゃ名誉なんですね。だから親鸞聖人は写していいと言われ舞い上がって喜びましたね。
以上の7人の高僧を親鸞聖人はリスペクトしてたんですね。浄土教流れをお伝えくださった尊い方々なんですね。七高僧と言いますね。
今日は長くなりましたね。読んでくださりありがとうございました。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ 合掌
↓上段より一段目・龍樹菩薩
二段目左・天親菩薩(世親)、二段目右・曇鸞大師
三段目左・道綽禅師、三段目右善導大師
四段目左・源信和尚(僧都)、四段目右・法然(源空)上人