住職の法話 第14回 倶会一処

「倶会一処」
浄土真宗の墓石によく刻まれている言葉です。どういう意味でしょう。
読み方は「くえいっしょ」です。
一つの処で倶(とも)に会いましょうという意味です。

墓石に刻まれているから、死んだらこのお墓で一緒になりましょうと思うかもしれませんが、そうではありません。

倶会一処とは浄土教の往生のご利益(りやく)の一つで、阿弥陀仏の浄土に往生した者は浄土の仏・菩薩たちと一処で出会うことができると言う意味です。『仏説阿弥陀経』というお経では一切衆生(全ての人々)に阿弥陀仏のお浄土を勧める理由は倶会一処だからであると説かれています。

自分の力では決して行けるはずもないお浄土に、誰一人漏らすことなく必ず一つ処で会えるのは阿弥陀仏のはたらきに他なりません。故に倶会一処は阿弥陀仏のはたらきを受けた私たちのご利益を表しています。

最近法事をしていて、時々聞く話には、わたしはね後妻だから死んでから先妻さんがいるお墓に一緒に入りたくないんですよっていう奥さんいます。

また、新聞の記事で姑と同じ墓には入りたく無いって言う主婦の方が多いとか。

でもね、これではお墓は俗世の感情がそのままぶつかり合う処のようですね。墓石に刻んだ倶会一処の文字が誤解を生んでますね。

なので、そういう話になると私は次のように答えます。

皆さんは「お墓」の中に拘束されるのではありませんよ、広大なお浄土に生まれさせていただけるのです。そのお浄土こそが倶会一処の世界であり、一人一人が仏として互いに敬い合い心を通わせる世界なのです。俗世のわだかまり等の感情はそこには存在しないのですと。
何故なら、お浄土に生まれるときは「成仏」したときですから、「煩悩」から解放されているのです。

私たちは亡くなれば先に逝かれた愛する方々と必ずお会いすることが出来るのです。
それが阿弥陀さまのご利益です。

さあ、今日もお念仏しましょう。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ 合掌